高次元位相体封印術研究簡易報告書
―竜種拘束に関する検証と考察―




高次元位相体・甲、識別名『未だ知られざるもの』拘束による国土豊穣化、及びその具体的手段についての模索。
幾度も実現不可能と結論づけられながら尚も断行されてきたこの事業が、ついに結実した。
以下に、その概要を付す。


1.仮説と検証
あらゆる物理的干渉を寄せ付けぬ高次元位相体(以下、『竜』と記す)に対し、唯一影響を及ぼすことが確認されているのが『歌姫』の歌声であることは、周知の通りである。
しかし、『歌姫』は所詮羊飼いに過ぎず、短時間の統御は可能とするものの永続的な統制にまでは至らない。
つまり『歌姫』という要素だけでは一定の場所に竜を留め置き続けるのは事実上不可能であり、目的の実現化に向けては竜を拘束することを可能とする『檻』に類する空間、乃至力場を用意する必要性が生じる。
無論、どれほど固い金属を用いようと、どれほど巨大な質量を用いようと、三次元的な事象手段では竜に対して全くの無意味である点は、これまでに証明されてきた通りである。
そこで我々が着目したのが、近年確認された竜の別個体、高次元位相体・乙こと識別名『未だ来たらざるもの』の存在について。
そも位相体との呼び名は、竜に対してあらゆる物理的干渉が効果を及ぼさない理由が、かの存在の本質が我々の認識が及ぶ物質世界から半ば乖離した別次元に属するという仮説に基づいたものであるが、この実験は同仮説を公理とする事で試みられた。
竜の本質が別次元に属するものであるならば、我々が認識している顕現体は、本来あるべきχ次元と我々の属する次元とを結ぶ一種の径路としての役割をも持つものと推察される。
そして、これまで長く一種一体の存在と考えられてきた竜に、『未だ来たらざるもの』という別固体が確認されたことにより、χ次元にも個々の位相体が占有する座標が存在すると考えられるようになった。
そこで我々は、三次元体として顕現している竜に対し歌姫が働きかける際に発生する特殊波動を仔細に観測する事で、他次元に干渉する際に発生する特異点の発見に成功。
ここでいう特異点とは言い換えれば「次元の裂け目」とでも呼ぶべきものだが、これは『歌姫』の特殊波動が多次元を踏破する性質を有する事を意味し、これに三次元的な干渉方法が絶無である現実を重ね合わせれば、『歌姫』による竜への干渉は文字通り別次元の領域から作用していると考えられる事となる。
当然ながら、それが事実であると判明したところで、我々には『歌姫』以外に別次元へアプローチする手段も無ければ、在ったとしても他次元上から竜を認識・観測する方法も持ち合わせていない。
しかし仮に、竜が予想される通りの高次元位相体であるならば、χ次元上に於いてかの存在が形而上空間に占有する座標内に別個の位相体を重ね合わせる事で、相互に作用し合う状況を作り出せたとしたら、その歪みは果たして永続的に維持され得るものだろうか。
つまりそれは、竜の内にならば竜を閉じ込めることは出来ないのかという事である。物質が物質としてしか存在し得ない我々の次元に於いては、別個の存在が完全な同一座標に重なり合い、なお別個として存在するなど単なる絵空事に過ぎないが、竜の本質が実際に別次元に属した非物質的なものであるならば、恐らくその限りではない。
問題はその具体的方法であるが、『歌姫』の歌が竜の位相に直接作用することで影響を及ぼしていると考えるならば、これは決して難しい事ではない。(※この点の仔細については、イアトーク博士による論文を別途参照のこと)
某月某日、『歌姫xxx』主導のもと行われた2体の竜への位相転換実験は、望み得る最上の形で成功を収めた。


2.実験内容
実験は竜種・乙『未だ来たらざるもの』の属する位相空間へ、竜種・甲『未だ知られざるもの』の属する位相空間をずらし込むという形をとった。
これは三次元的特徴が人間の少女と変わらぬ『未だ来たらざるもの』の方が、呪具を施すのに都合が良かった為である。
呪具の形体は、“仮面”。視覚は五感の中でも外界を認識する上で最も比重が高く、かつ遮断が容易な感覚であり、竜の持つ我々の次元への干渉能力を少しでも効果的に削減するという意図からの選択であった。
この呪具は『歌姫』が発する特殊波動が持つ固有振動数を、呪的な力場で憑代に固着・安定化させたものであり、四次元以上の次元に於いては『歌声』と同様の効果を及ぼす性質を持つ、謂わば人工的な多次元位相体とも言うべき物。
憑代として使用されたのは『歌姫』の血液。簡略すれば、鉄を精練する過程で『歌姫』の血液を添加して生成された特殊鋼を成形したもので、その半ば非物質的な性質から“空虚なる燃えさし”(コールヴォイド)と名付けられた。
これは“血統”が『歌姫』の能力発現の要項となっている点から考案されたものであり、提案及び血液の提供は『歌姫xxx』自身が進んで行ったものである事を強く言明しておく。
一度目の実験は呪具を用いずに行われ、結果、竜種・乙と竜種・甲のχ次元に於ける位相空間を重なり合わせる事には成功したものの、それは大方の予想通り一時的なものに限定された。
この際、三次元上から竜種・甲の姿が消失する現象も確認され、顕現化のイニシアチブもこちらの任意に操れる事が判明する。
二度目の実験は当然ながら、呪具を用い重ね合わせの状態を維持する事に焦点が置かれた。
結果は、見事に成功を収めたと言えるだろう。強引な位相転換の反作用によるものか、呪具を施した竜種・乙に大幅な記憶の欠落が確認されたが、これは我々にとってむしろ好都合であった。
これにより、竜種・甲はこの三次元上から姿を消し、竜種・乙が固有するχ次元上の占有空間内に隔離された形となり、同時に竜種・甲のχ次元上の位相座標をも固着化させた事になる。
案件の豊穣化をもたらすエネルギーは竜の生体・位置エネルギーとも同義であり、竜種・乙を介在し三次元上に連結された状態にある竜種・甲のエネルギーは、尚もこの世界に作用し続けた。


3.今後の課題と対策
以上のように、『未だ知られざるもの』を拘束するという当初の目的は一応の達成をみたと言えるが、未だ問題は山積している。
第一に、三次元上からの竜種・甲に対するアプローチが、『歌姫』の力を以てすら不可能となった点。
これについては、竜種・乙との共鳴化により『歌姫』自身が竜種・甲の隔離された内部位相空間へ侵入する事で対処は可能であるものの、非常に大きな問題点が生まれる。
端的に言って、侵入は可能でも脱出は不可能なのだ。三次元空間への帰還は竜種・甲の解放をも意味し、今回の成果を無に帰すだけでなく、竜種・甲の脅威に再び曝される危険性を含む。
その時に相対するのは、人類が未だ本当の意味では出会ったことのない、“怒り狂った”竜となるだろう。それは偏に、人類社会の終焉へと直結しかねない事は、敢えて言葉を費やすまでもあるまい。
しかし、『歌姫』によって永続的に竜種・甲を宥め続けなければ、この位相転換結界もいつ破られるともしれない危険性が常に付きまとう。
又、『歌姫』も人間である以上、内部位相空間での生命維持、及び寿命の問題も考慮せねばならず、恒久的な現状維持を望む場合、必然的に新たな『歌姫』の供給をも図らなければならない点も熟慮するべきである。
第二に、記憶を失った竜種・乙『未だ来たらざるもの』への対処。
呪具“空虚なる燃えさしの仮面”(マスク・オブ・コールヴォイド)と“彼女”の存在は、この位相転換結界の要である。
記憶の欠落は好都合ではあるが、逆に言えば記憶が戻れば全てがご破算になりかねない。“彼女”の扱いには、慎重に慎重を重ねる必要があるだろう。
それにはまず、“彼女”が自らを竜であるという認識に立ち返らせない事が最善であると思われる。『未だ来たらざるもの』という識別名を帝国風に『ミク(未来)』と改めることで、“彼女”を人間として扱う環境を構築していく端緒とする。
第三に、この結果が仮定に仮定を重ねた上でもたらされた偶然とも言える代物でしかない事を、決して忘れぬ事。
確かに形だけみれば成功であり勝利でもあると言える今回の結果だが、学術的・論理的に鑑みればこれは我々の知、その敗北にも等しい。結局のところ、我々に出来たのは『歌姫』の持つ不可思議な力に頼る事でしかなかったのだから。
我々はかの存在の性質、その一端に触れることは出来たのかもしれない。しかし、かの存在の本質は未だ無限の未知に閉ざされたままだ。
『アグノーストス(不可知なるもの)』は、未だ『アグノーストス』で在り続けている。この結果に満足することなく、研究者達が更なる探求に邁進することを望むものである。




帝国枢密院顧問官 記