合間一幕に落ちる、音






端と端で確かに繋がる感覚。重なる声。呼ばれる音、全てはまだあるというのに。
「……弱くなってる気がする」
乾いた音を立てて爆ぜた薪にぼんやりと焦点を合わせながら、レンはぽつりと呟いた。
森の木々が作る深い闇から梟の鳴き声が聞こえ、空には敷き詰めた星空が存在している。空気は夜の冷たさを孕み、指先は温度を奪われ冷えていた。
握っては開く。手を何度か動かしながらレンは息を吐き出す。
微睡みの中から抜け出したばかりの意識は霞掛かり、自然とまた眠りに引っ張られていく。
けれど、レンは首を振った。
「眠れぬのか?」
寧ろ眠気を撃退しようと試みた行動だったのだが、そこに声が掛かる。
「……いや、少し眠れないだけ」
微かに笑って返してレンは自分に声を掛けてきた相手を見遣った。
薪を挟み、番をしていたのだろう小さな書物を片手に書き物をしていた青年が視線を向ける。
「気に掛かることでも?」
帝国の学士であった彼は博識で落ち着いた雰囲気を持つ。近寄り難くもあるのに安心も覚えるのだ。
「少し、……だけ」
彼に出会い色々なことをレンは教えて貰った。世界のこと、歌姫のこと、帝国の内情、掻い摘んで聞かされる話のどれもがレンにとっては知らぬことで、目を丸くした。
「カムイ」
「……ん?」
決して詮索をしてこない相手の気遣いに内心感謝しつつレンは口を開いた。
弱くなる音。生まれてから端と端で繋がっていた糸の先が切れてしまうような喪失の予感。
双子の片割れが竜の歌姫として生まれて間もない頃に連れさらてしまい、隔たれた距離の中でも確かに繋がっていた絆が少しずつ弱くなっている気がする。
心の端で繋がった意識の共有下で初めて双子の少女の名前を知った時、泣いてしまったのを思い出した。
「リンの声が、音が、弱くなってる気がするんだ」
「弱く?」
自身の手を見下ろして握りしめる。聞き返したカムイの声に頷いた。
「リンを捜して、今日まで来たけど、少しずつ……声が弱くなってる気がする」
繋がる意識の中で感じる音が、聞こえる声が、少しずつ力を失っていく。
優しい日溜まりを恋うような声も、そこから感じる暖かな意志も少しずつ遠くなっているような感覚。確かに距離では近づいている筈なのに手を伸ばしてもすり抜けてしまうような、言い表し難い感覚だった。
抑も個々で独立している人間の意識が潜在的に共有されていること自体、稀なのだ。
歌姫として引き離された姉のリンと、普通に育てられてきた弟のレン。
互いに名前と声を知る。遠く離れた場所で互いを呼ぶ。それは双子という不思議な絆のなせる奇跡なのかもしれなかった。
「……これは、一つの仮説なのだが」
「なに?」
「前にレンの歌を聴いた時に、メイコ殿が言った。光だ、と」
「……え?」
「レンと現在の歌姫、双子として意識の端で繋がっているのならば、もしかしたら能力も半分ずつなのやもしれぬ」
魂が繋がるように力も。
「どういう、こと?」
「本来、歌姫の歌は光と闇を併せ持つのだ。光と闇、それは森羅万象を示す」
光は太陽を、闇は月を。光は昼を、闇は夜を。光は守護を、闇は恐怖を。光は審判を、闇は安らぎを。
「光があって闇があり、闇があるこそ光は認識される。世界の全てを示す二つを持って、歌姫は竜という存在を繋ぎ止める」
「うん」
「歌姫は必ず一人だが、歌姫の能力を持つ人間は必ずしも一人ではない。メイコ殿がレンの歌からは光を感じると言ったなら、それは本当だろう」
「俺が光だとするなら、……もし能力が半分なら、リンは闇だってこと?」
「その可能性がある」
頷いて本を閉じたカムイが空を見上げた。
また木の爆ぜる音が耳を擽り、静かに落ちる。
「光と闇、両方を持つのが歌姫の能力なら……、リンがもし闇しか持っていないなら歌姫にはなれないんじゃないかな」
「我も歌姫の能力については余り詳しくは知らぬが、歌姫の能力はそこには無いらしい」
分からない、とレンは思う。光と闇で森羅万象を表し竜を繋ぎ止めるのなら、歌姫の能力として光と闇を持つのは必須ではないのか。
「歌姫の歌は竜に意志を伝え、そして従わせる力を持つ。……嘗ての時代から」
「従わせる?」
「そうらしい。とは言っても祈りに近かったのではないかと考えているのだが」
「……つまりは元々の歌姫の素質に、今はもう一つ適正が必要?」
「そうなるだろう」
意思疎通を前提とする歌姫に、もう一つ。竜を封印するため世界の万象を表す光と闇を求める。
歌姫として候補に挙がる人間は一人というわけではないという話が何となく分かった気がした。
旅を共にするメイコもまた歌姫の素質を持った女性だという。リンの前の歌姫を決める際に候補に上がっていたと前に話で聞いた。
「歌姫の素質がある人間が、全員が光と闇を持つ訳じゃない……?」
「いや、たぶん大体は持ち合わせているだろう。ただ能力の個人差はあるらしい」
だからこそ世界を安定させる歌姫の年期にはばらつきがあるのだ。
短い歌姫であれば二年から三年。長い歌姫であれば十数年から数十年。
リンは生まれてから十年以上、この世界を安定させ続けている。乳飲み子であったにも拘わらず歌姫として連れて行かれたのにはリンの歌姫としての能力の高さが起因していた。
「カムイ、難しくてよく分からない」
「ああ。我の中でも仮説の域を出ない話だ。……少し砕いて話そう」

― 歌姫は竜と歌という媒介を持って意思疎通が出来る素質を持つものが担う。
  竜を繋ぎ止める歌には光と闇の力が付随されている。故に歌姫の歌には光と闇が無くてはならない。
  双子の姉弟。魂が繋がった二人。
  本来ならば女性しか持ち得ない歌姫の力を弟も持つ。弟の歌には光の力が宿っている。
  姉には闇の力しか宿っていない可能性がある。けれど歌姫の能力は強い。故に歌姫に選ばれた ―

すらすらと要点だけをもう一度反復するカムイにレンは頷く。そこまでは分かる。
そこからレンの感じるリンの存在が弱くなっていることとどう繋がるのか。カムイの仮説で、どう繋がっているのかが見えない。
首を軽く振ってレンは、はたと頭に浮かんだ疑問を口にした。
「カムイ……、竜を封印してる歌には光と闇が必要なのに、リンは光を持ってないなら。今までどうやって……」
この十数年間の間、竜を抑え続けてきたのか。
「光は命も表す」
少しだけ調子の落とされた声が鼓膜を振るわせ、頭に音を認識させたのと同時、レンは知らずに手のひらを強く握った。
つまりは。
もしリンが闇の力だけを持ち、それでも世界を支え続けてきたのだとするなら。
「命が光?」
光と闇が必要になる歌に光を補うため、光となるもので補っているのだとすれば。
「……リンは、命を削ってるのか」
歌うことで。世界を安定させるための歌を歌い続ける、それで。
優しく平和を願う優しい声で、自身の命を削る。削っても尚世界の救済を歌っているのなら。
「………ああ、」
喉からでかかった言葉は声にならない。レンは泣きそうになる。――何故。
命を削ってまで、自分の存在を使ってまで、リンは世界を救うための歌を歌い続けられるのか。
「あくまで可能性の話だ」
顔を覆ってしまったレンに声を掛けてカムイは緩く首を振る。
自分の言葉など気休めにもならないと分かる。歌姫とレンの間に繋がりがある以上、遠く離れていても敏感に歌姫の様子を感じ取っているのはレンでしかない。
「レン」
「……大丈夫」
応える声は小さく、しかしはっきりとしていた。だからそれ以上何も言えずカムイは沈黙に身を任せる。
直ぐに耳に届く音は夜に潜む鳥の声以外無くなった。
レンはそっと目を閉じて意識を委ねる。
歌が、聞こえる。優しくて暖かい歌。救いを歌う歌。これは間違いなくリンの命の歌。

――リンは救いを歌うけど、俺は。

絶望が押し寄せる。世界は残酷で、不平等で、決して優しくないのに。
世界のために歌われるリンの歌は優しいのだ。
「……ごめん」
きっと自分は世界を救う歌を歌うことは出来ない、とレンは小さく口に出した言葉に自らの膝を抱えた。
夜の静寂はレンの言葉を余すことなく受け止める。
そうして誰にも聞かれないよう、合間に落ちた音は夜に隠されてしまった。





- end -