路傍に咲いた夢想花






 運命。ボクの嫌いな言葉だ。
 飾り立てられた諦念。思考停止の許容。不条理に屈する弱き自己の正当化。
 どうにもならない現実を受け容れる為の、甘く醜悪な逃避の概念。
 だから、どうかこれから語る顛末を、ボクの事を、その言葉で穢さないでくれ。
 これは断固たる選択の記憶、その欠片。
 君に託す、真実の歌。



「そう急かさないでくれるかな。抵抗するつもりなんて無いんだから」
 さり気ない風を装いつつも、些か眉根を寄せたくなるような無言の圧力に、ボクは小さく抗議の声をあげた。
 無論のこと、そんな抗弁など黙殺されるだけだ。傍から見れば幼気な少女を連行する複数の男たち、という耳目を憚られるべき絵図に違いない筈だったが、周囲には非難の声も憐憫の眼差しも一切存在していない。
 人気の少ない早朝である事が最たる理由ではあるが、例え今が昼日中で、ここが人混みにごった返す目抜き通りであったとしても、周囲の反応はおよそボクの望むようなものでは有り得なかっただろう。
 男たちの着込んでいる、仰々しいまでに格式張った略式の軍装は、完璧にそれらを封じ込める効果を持っている。栄えある帝国軍 の兵士である事を誰の目にも雄弁に物語る、その装いは。
 対するボクにしたところで、引き立てられる憐れな子羊を演じてやる気などさらさら無かった。背筋はしゃんと伸ばし、眼差しは正面だけを見据え、先を急ごうと態度で促す兵士たちを尻目に殊更ゆっくりとした歩調でしずしずと足を運ぶ。
「“歌姫”には敬意を払え。翼竜信仰の教典にも、いの一番に書かれた事柄だったと思うのだけど」
 そんな皮肉にも、両脇を固めた兵士たちは動じた様子など見せない。体格や年格好も似通った、同じ誂えの制服に身を包んだ男たちは、その反応まで一様だ。帝国軍の兵員募集要項には、無個性という条件でも記載されているのだろうかと疑いたくなる。
 それにしても――、ボクは今しがた自分で口にした発言の一部分に、未だ名状しがたい奇妙な感覚を拭えずにいた。
(ボクが“歌姫”ねえ。頭では理解しているつもりだけど、どうも実感に乏しいな)
 “歌姫”とは、この世界では途轍もなく重要な意味を持つ尊称だ。時には歌劇場で大勢の聴衆を沸かせる女性歌手や、辻や酒場で自慢の喉を披露する女詩人たちを称賛する俗語として使われる事もあるが、それはあくまで秘密裏に囁かれるものに過ぎない。何故なら、もし翼竜教の神官や、熱心な信徒の耳にでも入れば、「妄りに聖者を貶めた」として厳罰を科される嵌めになりかねず、しかもそうした側の人間はどこにでも紛れ込んでいるものだからだ。
 それくらい、“歌姫”というのは特別な存在だった。翼竜教の祭神であり、この世界に永遠の豊穣をもたらす“竜”に仕え、祈りの歌を捧げる役目を背負った神聖な存在。決して複数人が並立することはなく、その時代時代にたった一人しか選ばれることのない“不帰の聖女”。
 信徒数が優に億を数えるとされる翼竜教にて、中核に置かれる者。その身と歌声を大いなる“竜”に捧げる事で、この大地を支える生き神。
 それが“歌姫”。そんな存在と、このボクとが、どうやっても等号で結び付かない。それは子供向けの絵本の中で、翼竜信仰の教典の中で、数える気にすらならないほど繰り返し聞かされ読み重ねてきた、話中の存在だったのだから。
 けれど、どれだけ信じがたくとも、ボクは選ばれた。詳しいことは良く判らないが、特別な血筋に連なる女性にのみ発現するという“歌姫”に必須の能力を、どうもボクは宿しているらしい。
 勿論、はいそうですかと簡単に請け合える内容ではない。早くに父を事故で亡くし、ボクや弟妹を養うため女手一つで働き続けた母も、先年病に倒れた。
 いかに豊穣を約束されたこの国で生きていようと、働き手が居ないのでは飢えるしかない。そんな窮乏にあった最中にだ。
『実は貴方がたは“歌姫”の血筋に連なる者であり、貴方にはその能力がある。次代の“歌姫”になる事を承諾してくれるなら、今後一切生活に困ることはないよう、皇帝陛下の御名に於いて約束しよう』
 そんな話が舞い込んできて素直に信じられるのは、よほどのバカに違いあるまい。しかし、それをボクに告げた使者は高級官吏だけが纏う装束に身を包んでいて、更には皇帝と翼竜教最高司祭の連名になる書状を携えていて、あまつさえ実際にその両名に引き合わされた上で尚も疑いを抱くことが出来たとしたら、逆にそちらの方がバカということになってしまうだろう。
 殆ど否応無しに話を信じざるを得なくなったボクの目の前に、こうして大きな選択肢が示された。
 単純な二択。――“歌姫”に成るか、否か。
 諾ならば、家族は見通しの立たない窮乏から救われ、以後の生活の安泰までも約束される。但し、“不帰の聖女”というもう一つの呼び名が表すように、ボクは二度と“竜”のもとから帰れない。
 否ならば、今までと変わりなく家族は困窮したまま、辛苦の中で喘ぎ続ける事となるだろう。但し、ボクもまた共に、その困苦を家族と分かち合うことが出来る。
 賢明な人間なら、選択の余地など無いと声高に言うのかもしれない。けれど、ボクは迷った。
 ボクだってもう立派に働ける年齢になる。家族の幸せという観点でのみ論じるならば、もう少し堪え忍べば自らの手で成し遂げられる可能性だってゼロじゃない。
 他者から与えられる幸せと、自分で掴み取る幸せ。両者を天秤に掛けた時、ボクの気持ちはハッキリと後者に傾いた。
 しかし、次代の“歌姫”が必要とされているという事実は、そう簡単な話ではない。

 ――ボクガ歌姫ニ成ラナケレバ、世界ハ破滅スルカモシレナイ――

 そう、紛れもなく、この問題はそんな意味合いを含むのだ。そして、その点に思いを馳せた時、ボクはその小さな違和感に気付かざるを得なかった。
 何故だろう。何故、少なくとも表面上は焦りの色も浮かべずに、この世の権力の頂点に立つ人物までもが、ボクに選択の余地などを与えるのだろう。
 強制することなど容易いのだ。それをしない理由が在るのだとしたら、つまりは彼らにも選択肢が存在しているという事。
 では、別の選択肢とは何だ? 彼らの落ち着きが、真実、繕われたものでないとするならば……。
「……ボクが断れば、別の誰かが“歌姫”に選ばれるのですか」
 他にも『候補』が居るのだ。しかも、おそらく条件的にはボクよりも“歌姫”として相応しい人が。
 だけど、誰かにとってそれは望ましいことではなくて、ボクが肩代わりをしてくれるならそれに越したことはないと考えている。
「ほう。存外、頭は回るのだな。気に入ったぞ、娘」
 洩らした疑問は、至尊の冠によって楽しげに肯定された。瞬間、衝動的に込み上げてきた怒りで視界が赤く染まりかけたが、ボクは下唇を強く噛んで懸命にそれを押し殺した。
 ここで激昂すれば、それは恐らく3つ目の、最悪の選択となる。家族の、そしてボクの未来は、完膚無きまでに跡形もなく消し飛ばされるだろう。
 それでは誰も救われない。それだけは、絶対にしてはいけないのだ。
「参考までに、その別候補の名をお訊きしても宜しいでしょうか? 案外、ボクの知っている人だったりして」
 誓って言う。他意は無かった。つまらない軽口を叩くことで、昂ぶりかけた気を落ち着かせようとしただけの、半ば無意識の産物だった。
 詳しい統計までは知らないが、そもそもこの帝都だけで百万人にも及ぶ人間が生活していると言われる。口にした台詞とは裏腹に、仮に名前など聞いたところでそれがボクの知っている人物である可能性など、殆ど無いに等しい筈だった。
 けれど、その言葉が引き出した答えが、結果的にボクの選択を決定づける大きな理由となってしまう。
「余計な口を利く気はなかったが、その犀利に免じて教えてやろう。もう一人の候補は――」
 何故なら、まるで虫けらを嬲る幼児を思わせる無垢な笑みを伴い告げられた、その名は……。

「テト!」
 唐突に名を呼ばれ、やにわにボクは回想から立ち返った。
 いつの間にやら物思いに耽ってしまっていたらしい。周囲の光景は雑然と大小の屋根が並ぶ住宅地区のそれではなく、より帝都の中心部に近い官庁地区の殺風景なものに様変わりしていた。
 官吏の多くは庁舎に住み込みで詰める為、この辺りは日中でも人気はさほど多くはない。平民は余程のことがない限り近づこうとしない区域であり、ボク自身も決して馴染みのある場所ではなかった。
 ここら一帯は、基本的に貴族やその子弟が訪れる所、というのが帝都に住む者にとって共通の認識だと言えるだろう。そう、例えば今しがたボクに呼び掛けた、小さな淑女のような人々にこそ相応しい場所。
「……来たのか、メイコ」
 ある意味では最も会いたくて、別の意味では最も会いたくなかった人。
 そんな彼女の登場に思わず苦笑してみせたボクだったが、内心では湧き上がってくる喜色と狼狽を押し隠すのに必死だった。
 別れは告げずに行くつもりだったのだ。栗色の髪を靡かせた、年下のこの少女には。
 家族を除けば、いや、ひょっとしたら含めてすら一番大切な存在だと言い切れそうな、ボクの親友。
 帝国でも有数の名家に生まれ、現宰相の孫娘に当たる令嬢でありながら、ひょんなことからボクにとって無二の友となった優しいメイコ。
 ――そして、ボクの選択を決定的なものにした、“もう一人の歌姫候補”。
「どういう事なの? どうして……貴女が“歌姫”になど! そんな話、私、聞いてません!」
 大きな目に涙を一杯に溜め、肩を震わせながら痛切に訴えるメイコを前に、ボクは返す言葉を完全に見失っていた。
 貴族ゆえの高度な教育を受けていることもあってか、彼女はボクより数段頭が良い。下手なことを口走っても、難なく真意を看破されてしまうだろう。だからボクは無言のまま、必死に告げるべき言葉を探していた。
 兵士たちは小声で耳打ちした後、ボクたちと少し距離を置いた所で油断なく周囲に視線を向けた。有り難いことに暫しの静観を決め込む事にしてくれたらしい。「宰相」、「御息女」などの単語が漏れ聞こえたから、どうやらメイコの事を見知っている者が居たようだ。
 融通を利かせてくれたというよりは、保身の為だろう。だが、そういう判りやすい行動原理の方が、今は信用できる。
 実のところ、彼女の『じゃじゃ馬ぶり』は一部の人間には有名な話で、凡そ貴族の令嬢には似つかわしくない剣術や馬術に無類の興味を向け、軍の練兵場などにも良く顔を出していた事から、帝国軍兵士たちの間ではちょっとした有名人だという裏事情があった。ボクと知り合う切っ掛けとなったのも、その性格ゆえの出来事が発端なのだが、それはまた別の話だ。
「……私のせい、なの?」
 ボクの沈黙をどのように受け取ったのか。暫くの静寂の後、彼女はぽつりとそんな言葉を洩らした。
「私が貴族だから」
 思わず、はっとした。どういう思考経路を辿ったのか、決して多くはない情報の中から、メイコは真実に指先を掛けようとしているのが判ったから。
 彼女はボクより数段頭が良い。知っていた筈なのに、この時ボクはその事実に慄然とした。
「メイコ」
 その思考が辿る進路を塞ごうと、ボクの唇が彼女の名を形作る。しかし、幼くとも明敏な頭脳は、そんな思いなど歯牙にも掛けず結論を導き出そうとする。
「私が……私が“歌姫”になる事を拒否したから、あなたに……。貴女に矛先が向いたの?」
「メイコ、違う」
 自分がひどくバカになった気がした。他の言葉を忘れてしまったかのように、ただ彼女の、ボクの親友になってくれた少女の名前を口にすることしか出来なかった。
「私が貴女をお父様に紹介したから……。貴女の窮状を救って欲しいと、願ったから……。そうよ、“歌姫”の能力の有無なんて、誰にでも簡単に調べられるものじゃないもの」
 彼女は正しい。けれどボクには判った。正しい癖に、彼女は結論を間違うだろう。
 その優しさ故に。その頑なさ故に。ボクを――大切に想ってくれているが故に。
 だから――。
「私が……無意識に貴女を贄に選んで……」
「メイコッ!!」
 遂にボクは叫んでいた。自分でも呆れるほど大きな声に、周りに散った兵士たちすら唖然とした表情でボクらの方を見遣った。
 語勢を直接向けられたメイコに至っては、ビクリと小さな身体を竦ませ、今にも咽び出しそうな有様だった。
 まったく、泣きたいのはこっちの方だ。とうに覚悟は決めたというのに、そんな顔をされたら揺らいでしまいそうになる。
 ――君と一緒に未来を紡いでゆきたかったという願いを、捨てきれなくなってしまいそうになる。
 けれど。だからこそ。ボクは告げなければならない。
 大仰に肩を竦め、小馬鹿にしたような顔を浮かべ、幾度もなく君にそうしたように。

「君はじつに馬鹿だな」

 言えただろうか。いつもの態度、いつもの声音で。
 彼女の記憶に残るボクの最後の姿は、彼女が知るボクらしくあらねばならない。
 メイコ、君が友だと呼んでくれた、テトでなければならないのだ。
「テト……」
 茫然と呟き、唇を噛んでボクを見遣るメイコの視線を真っ向から受け止めながら、漸く見つけた言の葉を風に乗せる。
「良いか。“歌姫”になれば、親族の生活は帝国と教団によって保証される。弟たちに、これでやっと満足に心ゆくまで食べさせてやれる。臥せっている母については、帝室付きの侍医が責任を持って診てくださるそうだ。医者、しかも帝国でも指折りの名医だぞ?
 あれだけ欲していたものが目の前にぶら下げられているんだ。乗らない手なんてないだろう?」
 無二の友であった存在は、この世で唯一人、決して共には生きられぬ存在でもあった。そう、少なくとも“竜”と“歌姫”を必要とするこの世界では。
 嗚呼、何て哀しく皮肉な運命! ――冗談じゃない。そんな言葉でボクらを語るな。
 何かを選ぶことは、何かを捨てること。そして、ボクは選んだ。ただ、それだけのことなんだ。
「でも……あそこに行けば帰ってこられはしない! “不帰の聖女”なんて呼ばれる理由、貴女だって」
「そう、知っているさ。ボクだって、それくらいのことはね」
「だったら!」
 勢い込んで更に詰め寄ろうとする少女に、ふっと微笑みかけ、ボクは意識して語調を落としながら静かに、けれど強く呟いた。
「誰かが」
「……え?」
 ボクの様子が変わったことを明敏に察し、彼女は戸惑ったように小さく首を傾げた。
 一言も聞き逃すまいと耳をそばだて、その癖、何も聞きたくないという風にも見える、曖昧な表情を浮かべて。 
「それでも誰かが帰らずの意志を固めなければ、この世界は均衡を保てなくなる」
 ぽつねんとそう零しながら、ボクは意識せず空を見上げた。早朝の澄んだ空気を湛えた上空には雲一つ無く、憎らしいほどに青々とした状でボクらを包み込んでいた。
「ボクは、ボクが守りたいと望んだものたち、その幸せの為に往く。それだけは、憶えておいてくれないかな?」
「テト………」
 遂に、大きな双眸に湛えられていた温かな雫が決壊した。そんなメイコから素早く目を背け、ボクは周囲を固めていた兵士たちに向けて小さく頷いて見せた。
「さよならだ、泣き虫メイコ」
 一度だけ、わざと乱暴に彼女の柔らかな髪をくしゃりと撫でてから、ボクは立ち尽くす彼女の脇を擦り抜けて、再び歩みを進めた。即座に兵士たちが両脇を固めるように隊伍を固め、物々しい雰囲気も息を吹き返す。
 メイコはもう、追ってこようとまではしなかった。ボクの態度から、決意の程を見て取ったと解釈すべきだろうか。
 けれど、擦れ違いざまに耳に届いた、小さな小さな呟き声は、決してボクの耳から離れようとはしなかった。

「でも、その幸せの中に貴女は居ないじゃない……」



 視界が歪んでいた。零れ出す涙を止める術を、ボクは知らなかった。
 それでも嗚咽だけは漏らすまいと懸命に声を押し殺し、ボクは尚も前だけを見つめ歩いていた。
 ふと、そんな視野の片隅に、とある小さな色合いが飛び込んできた。咄嗟に袖口で目許を拭い、改めてその色彩に目を向けると、石畳の敷き詰められた大路の片隅で、見覚えのある一輪の花がそよ風に揺れていた。
『この花、貴女みたいね』
 赤紫色をした花が、ボクの髪と同じ色をしていると。幼い親友と出かけた川沿で、群生していたそれを一輪、手渡された記憶。
 その時は何か妙に照れ臭くて、ぞんざいな態度で突き返してしまったけれど、本当は凄く嬉しくて、後で名前を調べてみたっけ。
 本来ならこんな街中に咲いている筈は無いのだけれど、あれは確かに、あの花だ。あの花だけは、絶対に見間違えやしない。
 クリンソウ(九輪草)。ボクと彼女の想い出の花。花言葉は確か、幸福を――。
「もはや叶わぬ夢想……か」
 苦笑しつつ二度ゆっくりと首を振り、俯いたまま大きく深呼吸をした後、ボクは再び視線を上げた。目に映る景色はもう、歪みを残してはいなかった。
 視線の先には、皇帝の居城でもある王宮が聳え立っている。帰らずの旅路は、まだ始まったばかりだった。



 ――“竜”よ。御柱たるモノ、大いなる御遣いよ。
 此の歌声を、此の想いを、此の身を喰らい、世を潤し給え。
 彼女が生きる未来を。ボクが愛した此の世界を――。






花言葉『幸福を重ねる』




- end -